辨 |
チガヤ属 Imperata(白茅 báimáo 屬)には、世界の熱帯乃至温帯に約10種がある。
I. cylindrica
var. cylindrica 地中海地方・西アジア・アフリカ産
チガヤ(フシゲチガヤ) var. koenigii(var.major; 白茅・絲茅)
ケナシチガヤ f. pallida
I. exaltata(高升白茅)
I. flavida(黃穗茅)
I. latifolia(寛葉白茅)
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イネ科 Poaceae(Gramineae;禾本 héběn 科)については、イネ科を見よ。 |
訓 |
和名は、一説に茅とカヤの複合という。ツバナ・チバナは花穂の名、浅茅(あさぢ)・浅茅生(あさぢう)はチガヤの生えているようす。 |
『本草和名』茅根に、「和名知乃祢」と。
『倭名類聚抄』茅に、「和名智」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』に、「チ和名鈔 ハクウサウ同上 チガヤ オモヒグサ古歌 アサヂ ミチノシバグサ共ニ同上 ツンバネ播州 カニスカシ同上 ツバ作州 ツバウバナ防州」と。
また、「春新苗出ルトキ葉中ニ花を包ミ、細筍ノ形ノ如シ。コレヲ茅針ト云。一名茅筍醫學入門 茅椻通雅 荑 ■{草冠に弟} 蕛 ●{草冠に[雨冠に弟]}共ニ同上。俗ニツバナト呼。チバナ也。今人草ノ名ヲ ツバナト呼ハ誤ナリ」と。 |
漢名は、「茅は、葉は矛の如し。故に之を茅と謂う」と(李時珍『本草綱目』)。
漢名を荼(ト,tú)というものは、ノゲシと、チガヤの花穂。 |
説 |
北海道・本州・四国・九州・琉球・臺灣・華東・河南・山東・陝西・兩湖・兩廣・四川・貴州・雲南・チベット・東南&南アジア・太平洋諸島・アフリカ・マダガスカルに分布する。 |
誌 |
中国では、本種などの根茎を白茅根(ハクボウコン,báimáogēn)と呼び、薬用にする(〇印は正品)。『中薬志Ⅰ』pp.170-172 『全國中草藥匯編 上』p.28992-293 『(修訂)中葯志 』I/398-403
〇チガヤ Imperata cylindrica var. koenigii(var.major; 白茅・絲茅)
イヌチガヤ Pennisetum flaccidum(Cenchrus flaccidus;白草)
日本では、生薬ボウコン(茅根)は チガヤの細根及び鱗片葉をほとんど除いた根茎である(第十八改正日本薬局方)。 |
若い穂のまだ鞘の中にあるものはツバナ(茅花、漢名は茅針 máozhēn・茅筍 máosŭn)といい、甘みがあるので「小児茅筍ヲトリ嫩穗ヲ出シテ食フ」(『本草綱目啓蒙』)。
成長した穂は火口(ほくち)に用いた。「夏ニナレバ穗長ク出テ、狗尾草(ヱノコログサ)ノ穗ヨリ長ク、白キ絮(ワタ)アリ。此絮ヲ取テ焰焇ヲ加ヘ、煮テ赤ク染テ、ホクチトス。又焼酒ニテ煮製スルモアリ」と(『本草綱目啓蒙』)。
葉は腐りにくいので、古来屋根を葺くのに用い、いわゆる茅屋・茅舎を作った。 |
中国では、『詩経』国風・豳風「七月」に、「十月は・・・昼は爾(すなは)ち茅を于(と)り、宵は爾ち綯(たう。縄)を索(な)ふ、亟(すみ)やかに其れ屋を乗(おほ)ひ、其(まさ)に始めて百穀を播(ま)かんとす」と。
『詩経』国風・邶風(はいふう)・静女に、「牧(ぼく)より荑を帰(おく)る、洵(まこと)に美にして且つ異なり」と。衛風・碩人に、美人を形容して「手は柔荑(じうてい,チガヤの新芽)の如く、膚は凝脂(ぎようし)の如し。領(りやう,くび)は蝤蠐(しうせい,すくもむし)の如く、歯は瓠犀(こさい,ひさごのならんだ種子)の如し。螓(しん,額の広い蝉)首、蛾眉」と。
国風・鄘風(ようふう)・牆有茨(しょうゆうじ)に、「牆(かきね)に茨(いばら)有り、埽(はら)ふべからず」云々とある茨は、一説にチガヤとする。 |
『大戴礼』「夏小正」四月に、「荼(と)を取る。〔荼なる者は、以て君の薦将(敷物)と為すなり。〕」と。或いは荼は◆{竹冠に余}(ト,割り竹・竹を割いたもの)の誤りか、ともいう。 |
古代の日本では、チガヤの野原は大和の原風景であった。
5世紀末ごろの顕宗天皇は「倭は そそ茅原 浅茅原」と歌う(『日本書紀』巻15 顕宗天皇即位前紀)。 |
『万葉集』に詠われる歌は、文藝譜を見よ。
代表的な歌を上げれば、晩春から初夏にかけて、人々は野遊びの折に、そのつばなを摘んで食った。
春日野の 浅茅が上に 念ふどち 遊ぶこの日は 忘らえめやも (10/1880,読人知らず)
茅花(つばな)抜く 浅茅が原の つぼすみれ 今盛りなり 吾が恋ふらくは
(8/1449,大伴田村家大嬢)
戯奴(わけ)が為 吾が手もすまに 春の野に 抜ける茅花(つばな)そ
食(め)して肥えませ
吾が君に 戯奴は恋ふらし
給りたる 茅花を喫(は)めど いや痩せにや(痩)す
(8/1460;1462, 紀郎女と大伴家持の贈答歌)
夏から秋には、一面にチガヤの生えた野原は、人を物思いに誘ったらしい。
浅茅原(あさぢはら) つばらつばらに 物念(も)へば
故(ふ)りにし郷(さと)し 念ほゆるかも (3/333,大伴旅人)
浅茅原 茅生(ちふ)に足踏み 意(こころ)ぐみ 吾が念ふ児らが 家の当り見つ
(12/3057,読人知らず)
いなみ(印南)野の 浅茅押し靡(な)べ さ宿(ぬ)る夜の け長く在れば 家ししのはゆ
(6/940,山部赤人)
晩秋の草紅葉も、人の感興をそそった。
今朝のあさけ 雁がね寒く 聞きしなべ 野邊の浅茅そ 色づきにける
(8/1540,聖武天皇)
秋去れば 置く白露に 吾が門の 浅茅がうら葉 色づきにけり (10/2186,読人知らず)
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『八代集』に、
あさぢふの をののしのはら しのぶとも 人しるらめや いふ人なしに
(よみ人しらず、『古今和歌集』)
あさぢふの をのゝしの原 忍れど あまりてなどか 人のこひしき
(源等「ひとにつかはしける」、『後撰集』『百人一首』)
おもふより いかにせよとか 秋風に なびくあさぢの 色ことになる
(よみ人しらず、『古今和歌集』)
時すぎて かれ行くをのの あさぢには 今はおもひぞ たえずもえける
(小町が姉「あひしれりける人の やうやくかれがたになりけるあひだに、
やけたるちの葉に ふみをさしてつかはせりける」)
西行(1118-1190)『山家集』に、
すみれさく よこの(横野)のつばな さきぬれば
おもひおもひに 人かよふなり
ひばりあがる おほの(大野)のちはら(茅原) なつ(夏)くれば
すずむこかげを たづねてぞ行
あさぢはら 葉ずゑの露の たまごとに ひかりつらぬく 秋のよ(夜)の月
月のすむ あさぢにすだく きりぎりす 露のおくにや 夜をしるらん
いそのかみ ふるきすみかへ 分いれば 庭のあさぢに 露のこぼるゝ
秋の色は かれ野ながらも あるものを よのはかなさや あさぢふのつゆ
あらぬ世の 別はけふぞ うかりける あさぢがはらを みるにつけても
つばな(茅花)ぬく きたの(北野)のちはら(茅原) あ(褪)せゆけば
心すみれぞ 生(おひ)かはりける
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「(マクワウリにつく蝿を追い払うには)つばなの穂を多くたばね、是にてはらへば取り付きてとびさる事ならざるを殺すもよし」(宮崎安貞『農業全書』1697) |
春の水すみれつばなをぬらしゆく (蕪村,1716-1783)
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真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも
(1915,斉藤茂吉『あらたま』)
音立てて茅がやなびける山のうへに秋の彼岸のひかり差し居り
(1927,斎藤茂吉『ともしび』)
われをめぐる茅がやそよぎて寂(しづ)かなる秋の光になりにけるかも
(1946「最上川下河原」,齋藤茂吉『白き山』)
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なお、ささめとは、茅に似た草で、葉を編んで蓑・蓆などを作ったという。
あや(綾)ひねる さゝめのこみの(小蓑) きぬ(衣)にき(着)ん 涙の雨も しのぎがてらに
(西行(1118-1190)『山家集』)
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